現状、MacはOSXにしてもiOSにしても、UIの考え方が人間の暗黙知に起因する形で設計されていて、直感性とか見た目の分かりやすさを重視したものになっていると言える。ゆえに構造的なこととか、使用しない「であろう」機能を視界から消し、ユーザーの判断を視覚的な範囲内で 完結できるような心理操作を行なっているように感じる。それはそれで利便性は高くなるし、操作性も体感的にすごくわかりやすくなる。それが最大の特長といっていいわけだ。
一方でそうした作り手の「心理操作」は、ユーザーのカスタマイズに一定の制限をもたらすことになり、それを追求しようと思えば思うほど様々な手間がかかってくるというジレンマが生じる。
Windowsの場合はその点がもう少しカスタマイズ前提になっていて、ライトユーザーがいじることの出来る範囲が広く、カスタマイズもやりやすいという側面がある。ただし、コンピューターの動作に影響を及ぼす仕組みにたやすく干渉できてしまうがゆえにトラブルも多いように思える(主観でしかないが)。
MacにはWindowsで当然できていたことが、デフォルトのままでは「できない」ことが結構ある(もちろんそれは逆のパターンでも言えることではある)。起動音の設定ひとつとってもそうである。「仕組み」とか「構造上の問題」とか「理念」の違いとか、色々と理由は説明できるだろうけど、結局はユーザーが求めるものがどうすれば「実現」できるのか、もしくは「実現できないのか」という点に我々の興味は終始しているはずだ。
だから、そのことにわかりやすい解が得られて、しかもそれを当初からサービスを享受する側の自由意志でカスタマイズ出来る幅が多ければ多いほど満足度は高くなるのではないかと思えるのである。
とかくにOSや筐体を選択する際に「どちら(どれ)がいいか」という比較からスタートするのは、それがユーザー自身の求める機能や体感性を担保してくれるのはどれか、という問いとイコールだからだと思っている。そんなわけで、どれが優れているという絶対的評価基準は存在しないし、誰の評価が正しいということもない。支持率の推移は参考にはなるだろうけども。
ただなんとなく「どうしてこういうことが標準でカスタマイズできないんだろう」という素朴な疑問から端を発してぼんやりと思ったことを書き連ねた。
とりあえず了。