【ライフ】石油ストーブにみる安全と身体性について



・暖房の原点回帰

今冬は暖房対策に「自然通気型開放式石油ストーブ」を導入しました。
製品名を正式に言うと長くてなんだかよくわからないですけど、上でお湯が沸かせる昔ながらのアレのことです。

子供の頃以来使っていなかったのですが、これ、実にいいものだったんですねぇ。しかも近年の製品の性能や品質の良いこと。
昔のはマッチで火をつけて、発火から暖かくなるまでが随分かかりました。今のは安全で暖まりも早い。消臭性能もかなり良い。
おそらく使ってない期間のブランクは20年くらいあったから、この間に消えずにより洗練されて残ってくれてつくづく良かったと思います。




・化石燃料依存とはいえ...

それにしてもこの暖房器具、震災直前までは量販店のほとんどが電気系にシフトしていて、石油ファンヒーターでさえ風前の灯だったことを思い出します。石油ストーブなんて一角にあるかないかだったように記憶しています。それが震災後はまたも主流に返り咲き。この変化は象徴的であり印象的でもありました。

石油ストーブは着火に乾電池を使用する以外は電気を使わないので、設置場所はかなり自由。停電時も暖房に困らない点で相当に重宝されました。

ヤカンで湯沸かし、軽い調理にも応用可能で、いろいろの利便を思うと、現代住宅のちょっとした囲炉裏性を実現してくれるようでもあります。

・安全性に不安というけれど

しかし熱源として有用である一方で、火災事故の危険性や、幼児の火傷懸念など、安全性に心配があるとして敬遠される傾向があったようにも思います。

でも、今の個人的な気分では「これを安全に運用できないような身体性のなさのがよっぽどヤバイ」んじゃないのかな、と感じています。

身体性というのは「こうすると危険だ」というのを身体で察知できる感覚のことです。その逆もまた然り。「このように扱えば安全である」という経験知をその身に蓄積しておくことで自然に身体性は発揮されます。これは自身のみならず他者との兼ね合いにおいても重要なシグナルとして機能し合います。

・安全と身体性

道具と使う側の身体性。
これはどんなものにも言えますけど、後者がなおざりにされることで、現代人は色んなものをその生活の中で喪失してるんじゃないかと思うんですよ。

それは包丁やカッターなどの刃物類、金槌やノコギリなどの工具類、ガスや灯油などの危険物など、生活を取り巻く道具の色々に通底することのように思います。

それの危険性を思うがゆえに使用しないとか、道具自体の性能に安全性を過度に求めるというような気分。どれほど主流かはわかりませんが、結構ありませんか。そういう気分。
加えて便利なものが店頭・流通に巡れば巡るほど失敗や怪我を生じた際にその道具の不備を言い募る傾向があると思います。損害の責任を外部に求め、自身の問題には言及しない。




しかし本来道具の危険性を理解するということは、それが「危険であるからこそ意識的に取り扱う」というような畏怖心を持つということなんですね。道具個々の課題や性能の問題はもちろん前提としてありますが、それへの理解も含めてということです。そういう意識を持って初めてその危険物のもたらす利便享受に至るし、ありがたみも解る。

それをどうも「リスクは全くのゼロで利便だけは得られて当たり前」という感覚が瀰漫(びまん)していることには違和感を禁じ得ません。

・リスクと共存する生活へ

以上のようなことをストーブの利便と危険を対比しつつ考えていました。

「あれは危ないからダメ」とか「あんなもの」という気分で対象を一刀両断する人は、二項対立や善悪二元論から逃れられず窮屈な生き方になっているでしょう。僕もかつてはそうでした。

物事には利便とリスクが両方あります。その間にある運用者たる「自分(人間)」が、バランスを取ってより良い運用のための「身体性」を発動させること。これは生活者の基本的な態度としてとても重要なことではないかと、じんわりとした暖気の前で感じています。

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