【ライフ】効率無視? 手帳多冊使いのススメ!〜飽きっぽい人のための手帳の考え方〜







ここ数年、手帳術やノート術がたくさん出回る中で、特に支持を受けたと思しきは「情報の一元化」。
すなわちいろんなことを一冊に集約する方法論ですね。

でも、そういうやり方が性に合わなかったり苦痛だったりすると、記録することそのものが嫌になってやめてしまうという話もよく聞きます。
 それではもともこもないですね。

極端な話、手帳なんかなくたってカレンダーでもスケジュール管理はできるし、付箋やコピー紙だけでタスク管理やToDoをどうにかすることも可能です。
「情報一元化」を手帳に求める程に、我々の日常というのは記録すべきことにあふれているというのでしょうか。
「情報太り」になってただ闇雲に集約しているだけになっていないでしょうか。

今回はそんな観点から「一元化」風潮に反して、手帳の複数冊同時利用、情報の分散化を敢えてしてもいいよね、という話をします。
■ 情報管理より情緒性を大事にしたい


確かにどんな情報も1冊にまとめられるなら分散しにくくて便利に違いありません。

だけどよく考えてみて欲しいのですが、もし効率的情報の集約を行うことだけが最大の目的なら、デジタル全盛、クラウド活況の現在にわざわざアナログに集約を試みるのは非効率ではないでしょうか。

端から情報は検索性に優れたデジタルに集約したほうが効率的なはずです。

それでもアナログ手帳は売れに売れ「アナログ回帰傾向」とさえ言われるほどに紙媒体は人気を博しています。

なぜでしょう。

その理由は恐らく、情報の集約よりも、自分と向き合える時間を手帳に求めているからじゃないかと思うのです。

なんでも合理化して、何かを実現しなきゃいけないとか、成果をどんどん上げていかなきゃならないとか・・・デジタルが求める効率性やスピード感は、実際人間が心地よく生きてゆくにはすこし酷な状況なんじゃないかという思いがします。

でも紙の手帳は原則自分だけの世界で完結し、他人に開示するものではないから、自分のペースで時間を楽しむことが可能です。

そういう情緒性を手帳に求めることを思えば、わざわざアナログ手帳で「情報管理」とか「一元化」を突き詰める必要なんかないんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。


■ 多冊の考え方とメリット


書店や文具店では毎年ひしめくように多彩な手帳が売り場を覆い尽くします。

どれも魅力的で、売り場では多くの人が自分にあった手帳を求めて真剣な顔つきになって選んでいるのを見かけます。

なんとしても自分に一番の一冊を見つけたい、そんな思いを感じます。

でも、自分に合いそうなものなんて、そのときの気分や状況、生活のスタイルなどでも簡単に変わってしまうものです。

もし途中で自分に合わなくなったら、そんな1冊に決めてしまった自分に嫌気が差して手帳を使うのをやめてしまうかもしれません。

それではせっかくの「手帳ライフ」から得られるいろんな「いいこと」に出会えないままになってしまいます。

私は気になるものを複数買って、それを併用するのも悪くないという考えです。

心は変化するものだから、その変化を無理やり型にはめて抑える必要はないと思っているのです。

だからわざと複数冊セレクトします。


ここで私の多冊についての考えを列挙してみましょう。

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・用途・気分・状況に応じて異なるものを用いて情報を分類化する
 アナログの苦手なソートの手間を分冊することで解消する。一元化するとどうしても見返し性が悪くなる、というのを防ぎます。

・一冊ごとに気分の切り替え効果を楽しむ
 ビジネス用、プライベート用、趣味用、学習用など、手帳を分けることで、対象と向き合う際に気持ちを切り替えられます。

・情報一元化はそもそも無視。それはデジタルに任せる。
 リアルタイムの時間管理やデータの同期管理、リマインド、メモや資料の集約とカテゴライズなど、効率化に関することはデジタル一任。

・スケジュール、雑記、記録などに意外性(偶有性)を期待する
 手書きによる筆記にはアイデアの創出やひらめきを促進する効能があるように思います。書くことで意外な発想に出会えるかもしれません。

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上のことをまとめるとすれば、最大のメリットは「気分の切り替え」と「意外性」。

これに尽きます。

分冊で気持ちを切り替えることで、意外と他の場面の問題点が解決できたり、思いもしなかったアイデアが浮かんだりする。

そんな経験を私は何度もしました。

いつも同じ物を使うことが前提で、それに疑問を差し挟む余地のない方は本稿の内容に今ひとつ得心がゆかないかもしれません。

それを承知で、私はこの「気分の切り替え」には日常の意識のマンネリ化や思考の硬直化を防ぐ作用があるという主張をしています。

同じ事の繰り返しに思える日常も、多冊・分冊はルーティンにささやかな変化をもたらしてくれる、そんな風に思っています。

そういう効果を思えば、手帳の役割として従来言われてきた備忘や予定管理などは、実は付帯的用途にすぎないとさえ思えてくるのです。


■ 多冊は飽きっぽさと表裏一体

多冊するというのは、いうなれば一冊に決められないから、複数冊使ってみるという気分と、自分の内面を切り分けるという2つの意味合いがあると思います。

とりわけ後者は切り分けることで自分を理解し直すことを主眼にしています。

多冊は飽きっぽい人にこそ試して欲しい方法なのです。

飽きっぽいというのは、結局自分が求めているものが明確じゃないということの裏返しです。

しかも自分が「求めているもの」は日々刻々と変化しています。

「見つけた」と思っているひとであってもそれを維持しておくのはなかなか難しいものです。

多冊はそういう変動的な自分を絶えず確認し続けるためのアンテナのようなものだと私は考えています。

複数の手帳をビジネス、プライベート、趣味、特定記録等に使い分けてみたら、1冊では見えなかった何かや、今の自分が欲しているものが何なのかが浮き彫りになってくるかもしれませんよ。

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※本稿は別媒体向けに執筆した記事に、全文加筆修正してお届けしています。