友人にメールを送ったときや仕事の打ち合わせの連絡を入れた時など、その応答が「許容範囲内」に返ってこないことにいらだちを覚える人は多いと思います。
最近古い友人たちと久しぶりに集まろうという連絡をし合う中で、ふと「このレスポンスの不安定さはなんだろう?」という印象を受けたところだったので、以下(まとまるかはわかりませんが)レスポンスについて少し考えてみたいと思います。
レスポンスの許容範囲
皆さんはどのくらいで返事が来れば「許容範囲内」ですか?
1)ほぼタイムラグなしのレスポンス(つまりチャット並み)
2)数分以内、事情あって遅くなっても1時間以内
3)その日以内ならOK
4)遅くとも翌日までに
5)別にいつでも気にしない
6)我慢できないので即電話
私の場合はこの上の中なら3か4までは普通に許容できます。
でも学生(独身)の頃は1か2でした。
5はよほどどうでもいいやりとりの時は。
でも中にはどんなやりとりもしっかりとしたレスポンスを要求するような人もいるにはいますね。
6は至急・重要の用件なら当然必要な処置です。
ちゃんとしたレスポンス
個人の感じ方はそれぞれあるにせよ「やりとり」にはなんらかの目的があるのだから、その帰結点に向けて取るべきレスポンスの必要性を見極める必要はあるでしょう。
いろんな考え方があるとは思います。
でも基本線は「相手のあることには独善的ではいけない」でしょう。
実際の会話はもちろんのことですが「文面」にはとりわけ相手の思惑や心情が滲みだすようなところがあります。
またそのレスポンスの間隔や内容表現にはその人間の価値観や意識が表出しています。
「明日の何時に時間あいてる?」
という問いかけ程度ならすぐに
「大丈夫」または「厳しいな」
と返せる。
でもそういう事務的な応答だけでなく「会いたくないな」とか「重要性が低いな」などという個人的な感懐も湧くことでしょう。
そこで重要な事は、自分はあらゆる関係性を高みから眺めてみた(鳥瞰した)ときに、人との継続的交流をどれほど「真摯」にできる人間なのかということです。
関係性を切ってしまっても構わないというなら返事もせずに無視してしまうということも大いにあるでしょうが、大切ならしっかりと返事をする・・・。
でもそれも打算的ではありますね。
この考え方は一見して多くの支持を集めそうなものですが「無責任」と言えなくもありません。
たとえ相手との関係性がどうであっても、他者との交流にはいつも真摯であろうと思えば、そこに差別はしない。
そういう人が結局は信頼度を高めてゆくと思います。
レスポンスの今後
メールなりメッセージによる連絡方法に付け加え、いまじゃLINE、Twitter、Facebookなど、ある意味小さい用件を伝達しあうには必ずしもメール(ショートメッセージ) である必要はないですね。
その手段は柔軟で構わないんだと思います。
ツールがどう変わろうとも、他者との共存共栄を旨とした生き方がより良い人間関係の第一歩だ思います。
そういう関係性をどうあっても築けない相手とは、メリハリを付けてやりとりを試み、それでもダメなら関係性を見直す。
そのくらいの気分で自分の人間交流のあり方を規定してゆく心の強さも必要なのかもしれません。