久しくBlog更新をしていなかった。ある時期までMacやiOSのアプデに関心が偏っていたが、少し趣きをずらして読書のことなども記しておく。
自分は10代後半から歴史物を好んで読んできた。司馬遼太郎や阿川弘之、池波正太郎が好みの作家で、それらはずいぶん読んだ。とりわけ若さゆえの猛りから幕末維新期の群像劇に傾注したが、その関心は徐々に近代史や戦争期の非人道性への疑問や不条理性を思索する方向へと移行した。
遅読なので関心とは裏腹に幅広く読むことができないのがもどかしかった。それでも阿川弘之作品には広く触れ、学生の頃など縁あって北京に赴いた折は『山本五十六』『米内光政』『井上成美』を持参して読み耽った。
就職し惑いのなかにあった頃は、目を通すのは雑多な新書類に偏った。それでも活字に触れ続けることができていたのは幸いであった。
最初の就職に挫折した頃、疲れ切って読み始めたのはなぜか宮沢賢治や夏目漱石、芥川龍之介などであった。漱石は『坊っちゃん』『三四郎』『それから』『門』『こころ』など表題作を一気読みしたが、最も面白く読んだのは小説ではなく講演録というべき『漱石文明論集』だった。「私の個人主義」などにずいぶん励まされた記憶がある。
宮沢賢治は童話なのだが、その奥深く幻想的な世界観に触れながら、おそらく疲れ切っていたその頃の自分には“癒し”のような読書だったのだろうと思う。絵本化された作品も多いが、全て文庫本を通じて活字のみの触れ合い方だった。
この時期の読書が多分自分の中では一番純粋なものだったような気がする。勉強や知識の吸収を目的としたものではなく、ただシンプルに活字に触れるという営み。20代も半ばを過ぎたころだったが、その頃を境に読書量は減っていった。